第11回メンブレイン・デザイン・コンペ'96
審査講評
川口 衞(審査委員長)
一般に詩情豊かな案が多く寄せられた反面、膜の科学技術的性質についての新しい知見や新しい用途に関する現実性の高い提案が少なかった。 1等:Modrcin案
鋭い社会的感性、豊かな詩情、優れた技術直感力を備えた、秀逸な提案である。ボスニア・ヘルツェゴビナの由緒ある町、モスタルの古い組石アーチ橋が、1993年の内線のさなか、クロアチア勢力によって爆破されてしまった。戦争による破壊の愚かしさと、失われた文化遺産に対する追憶の情を建築的に表現するため、主を失った両岸の強固なアバットメントの間にケーブル(2個)を張り渡し、これに光ファイバーを編み込んで作った電光膜によって、ありし日のアーチ橋の幻映を彷彿させようとする提案である。さらに提案は、自らを幻映のみに終わらせないため、水面上20mのアーチ頂部にアルミの突出梁をかけ、勇気ある若者たちがおこなってきたダイビングの伝統行事を復活させようとしている。 2等:山中案
野球場にバルーンの天井をつくろうという案である。屋根としての機能よりも「障子」の感覚で、バルーンの配置を変えて楽しもうとしている。天真爛漫な提案である。 3等:van der Linden案
砂漠にスーパーメンブレインと称する2重膜の「雲」をつくって緑化を試みようとする案で、発想は、類型的、努力賞。
1等となったModrcin案、アイデアの切れ味の鋭さと美しさで秀逸であり、何よりも冷戦以後の国際世界の新しい対立と悲劇にコミットしている点に、構想の広がりと強さを感じた。難点はひとつにクリストの手法(目的は異なる)を強く連想させること。もうひとつは、技術的な面での食たりなさ。つまり、両岸に残った橋脚の間に単純に膜を張っただけなので、橋面が一面となり、面外力に弱く風を受けると帆のように膨らんだりバタついてしまう。 山中案のよさは、膜構造の軽さという特徴を詩的に建築化したことであろう。特に、水中で気泡が成長する瞬間をとらえたような形態に魅力がある。ただし、アイデアとしては少し陳腐であり、浮遊体をどのように係留するかというあたりがナイーブである。 van der Lindenn案のよさは、現在の地球環境問題をとらえている。本当にこのような仕掛けをすると砂漠が緑化するのかわからないが、暖かい調子のプレゼンテーションもあって、その気にさせてくれる、これも膜の部分には魅力はない。 佳作のなかでは渡部案に興味を持った。地下街という見えない空間での人々の活動を換気の空気の動きに変換して、それを視覚化している点がおもしろかった。 上位入選案全体を見渡すと、膜の使い方の提案には魅力的なものが多かったが、それを支える技術的な構想性が乏しく低調であった。審査会では、Danziger案の可能性をくみ取ろうと、かなり時間をかけたのだが、これも技術に対する応募者の関心の低さに対する審査員の不満からであったと思う。
今回の話題はやはり1等になったModrcin案だろう。この案については川口委員長や石山委員が詳しく説明されると思うので私は遠慮するが、もしこの案が世界各地で起きている民族紛争(この案の場合はボスニア・ヘルツェゴビナ)を背景にしたものでなければ1等にならなかったかもしれない。こうしたコンペにおける審査にポリティカルコレクトネスの力が働くことは必ずしも賛成しない人もいるだろう。最初に1等はこの案しかないと取り上げたのは石山委員だった。それはポリティカルコレクトネスによる判断ではなく、建築の社会性、建築が社会とどうつながっているのか、そして建築家はその想像力をどのように具体的に社会に向けることができるのかという可能性に心を動かされた建築家の発言だった。審査中この案が気になって仕方がなかったが、この石山委員の一言で私もそれが正しい判断だと理解した。 佳作の角田案はその荒唐無稽さに好感がもてる。しかし重力や風力に逆らって膨大なエネルギーをかけて地上に張る膜よりも宇宙空間に漂う膜のほうがはるかにリアリティがあるかもしれない。 2等の山中案は大空に浮かぶ膜の雲が集合したり離散したり自由に移動する様が想像でき、大空間を被う巨大な膜とは異なる小さなユニットの膜が新鮮なイメージを与えている。
第三世代のメンブレイン・ドームというテーマに応募した力作は、国内・国外約半数づつというものであって、始めて審査員としてこのコンペの国際性を再認識した。しかも国外からの作品の力量が圧倒的であることにも驚かされた。私の評価基準はまずそのアイデアが発明的であるかという点である。膜という材料がまず前提であるから、いかに新しい使い方を提案し、膜構造の未来を予感させ、膜構造開発の新しい課題を提出するものであって欲しいと考えた。私は2等になったAAスクールの山中案を強く推した。その発明的なアイデアを買ったものである。ヘリウムガスをつめたバルーンユニットをワイヤーでつなげ、部分的にもまた大きな平面をもカバーするという提案は大変おもしろい。また佳作となった西崎案の「知覚する遊具」としての膜構造住宅も高く評価したい。現実的には構造的な、あるいは材料的なさらなる開発が要求されるが、その新しい視点に着目した。カナダのChong+他2名案のUrban Reanimationはフリーウエイ沿いに新しい風景を展開するもので、土木的な提案として新鮮さを感じた。もちろん1等となったModrcin案はアイデアの思考性と時代性とも抜群であるということはいうまでもない。その他多くのよい作品があった。総じてレベルの高いコンペであったといえる。
現代の特色の一つに、フィクションとノンフィクションの意味の逆転がある。一昔前は芸術は明かに現実を超える何物かを持っていた。だからこそ超現実主義(シュールリズム)なんて言うイズムが成立したり、宣言されたりもした。 今はノンフィクションがフィクションよりも圧倒的に芸術状態を表現してしまっている。戦争や大災害、そして事件が作り出してしまう風景の意味は、個人の想像の枠をはるかに超えて、圧倒的な虚無の状態を出現させてしまう。 1等案 Leo Modrein氏の案もまた、そんな現代的な意味合いを色濃く表現している。その安のリアリズムは深い。 民族的な争いに端を発する戦争が生み出してしまった叙事詩的な風景がまず選択されている。場所、時、いづれも見事な設定である。そこにテクノロジカルな方法で、もう一つの風景を作り出そうとする。現実に破壊された橋の風景の中に、もう一つの非現実の風景が現実の技術で作り出される。このコンセプトは見事であり、また今の時代、より端的に言えば今日、今の、この時に建築家が提示すべきものとしては最良の部類に属すると思う。良い意味で、ジャーナリスティックな意味が、芸術の意味までも担えることさえ、示しているのではないか。 できれば提案者はこのプランを実現するために行動してもらいたいとさえ思う。行動(フィクション)は提案(プラン)を超える、もう一つの現実なのだから。
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