第9回メンブレイン・デザイン・コンペ'94
審査講評
入賞者に日本の作品が1組しか入らず、審査員としては非常に寂しい結果に終わりました。1等案は悲劇性を持つ作品。現代文明が崩壊した時点での空間の再生を、廃墟となった高速道路の修景という形で表現しています。2等案は砂漠を覆い、農業の再生を試みた作品。技術の将来性を非常にプラス指向に捉えた案。3等案は、近代が合理化のためにバラバラにしてしまった時間や空間を高層化された農業タワーという形で、都市の中にインサートするという、強烈な印象を持つ提案でした。審査を通じて、日本の建築家の精神が悲惨な状態にあると感じました。コンペでは人類の未来やビジョンが語られるはずです。ところが、そういったものを表現したのは海外の作品ばかり。日本人の作品にはそれがありませんでした。建築が形や技術によって、新しい歌を歌ってほしい。古来から自然と親しみ、大きな視点をもっていた日本人の豊かな精神性を思い出してほしい。その精神性と高度成長の中で培った技術力が社会の将来を、明るく向上させる建築をつくることを期待します。
環境とメンブレインのあり方を追求したものが、現代社会の状況を反映し、多く見られた。1位は流動化する現代都市に対しての社会的提案。機能を失って行く都市のメガストラクチャーと新しいシェルターとしてのメンブレイン、そのコントラストの中から人間の場を見い出そうとし、都市を再生するアメーバーのような空間。2位は地球環境の一角への巨大なメンブレインの提案。スケールの大胆さが表現されていた。3位は都市において緑を垂直化していく楽しい作品。技術的な問題は多く含んでいるが、アイデアの中から想像できる新しい風景が気に入った。佳作の ナイジェル・グリーンヒル氏の案は、コンセプチュアルで表現も美しく、メンブレインとネットワークというテーマも極めて本質的な視点だと思う。同じく佳作のパトリック・キーン氏の案は、地層とメンブレインの重なり合う表現、メンブレインを抽象化した点がおもしろいと感じた。1位と2位はどちらも、地球環境への率直な提案をもつ優れた案で、審査の際に優劣を決めかねた。
隈 研吾
この春コロンビア大学で教えたのですが、その時、アメリカの学生と日本の学生の違いを感じました。アメリカの学生は、柔らかく直角のない建築を探っている。どうやって建築の固さを壊し、新しい可能性を見いだそうかとアタックし、トライしています。逆に日本の学生はバブルの崩壊後、精神的に縮みあがっている。前にも増しておとなしくなっている。このコンペでも海外と日本の作品にはっきりと差がつきました。日本人はもっと危機感をもって受け止めるべきで、この状況を打ち破るにはメゾットが必要です。ひとつは、技術の向上。日本の学生は技術的なものがおろそかになっている。技術的なものに対するコンプレックスがないゆえに、逆に全く技術を勉強しなくなっている。この問題を解決しなければなりません。そして、もうひとつ。日本の企業に期待したいのですが、もっと啓蒙的な活動をしていただくことが必要ではないでしょうか。日本人が建築の技術をマスターし、新しい可能性へチャレンジすれば、海外とは違うもの、超えるものができると信じています。
数十年前に恒久建築として認められたメンブレイン構造は、この10年間非常に注目をあび、建築学会での論文数も急増しています。日本におけるメンブレイン構造に関する技術とデータの蓄積、その資料は世界に誇るものとなっています。しかし技術者の立場からコンペの作品を審査してみますと、豊富な技術の蓄積がデザインする人に伝わってないことがわかりました。過去の建築素材を見ても、ある程度技術が蓄積された後に新しい建築、すばらしい作品ができています。私たち技術者がデザイナーに遠慮せず「データはこうです、有効に使ってください」と提案する必要があるんじゃないかと感じました。それと同時に、こういうコンペで出てきた新しいアイデアを実現できる方向にもっていけば、今までにない建築も発見できそうだと感じました。もちろん、それには技術者サイドの努力も必要です。メンブレインという非常に新しい素材に対して、技術的な蓄積が十分にある日本のコンペで、新しいアイデアが出てくればおもしろいなと思います。
日本からの入賞が少なかった理由は、外国勢に比べて、単純にプログラムの作り方が稚拙だったということだったように思います。建築に先立ってプログラムを与えられ、状況を与えられるという、そういう思考様式に私たちがあまりに慣れすぎているためだと思いますが、それらを自ら設定し、自らつくるという作業に関しては全く太刀打ちできないほどの差があったように思います。そしてこのコンペで問われたのは正にその部分でした。日本側からの提案の多くは、技術的な提案であったり、あるいはメンブレインを利用した新しい形の提案であったりと、今の都市の状況から切り離されて、ただ単に架構の問題としてしかメンブレインについて考えられなかったということなのではないでしょうか。それが敗因だと思います。例えば1等のリヒターさんは将来の都市の状況設定があって、その都市の中でメンブレインがどういう役割を演じることができるかということを見事に描いています。その状況のつくりかたの差だということです。
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