第10回メンブレイン・デザイン・コンペ'95
審査講評
スーパースペースのコンペも、第1回目の「棲む」、第2回目の「働く」を経て3回目「遊ぶ」で最後となる。構造と形が強いつながりをもち、また、「膜」のもつ意味はインターフェースであったり、生理的な皮膚を意味したり、また、現代的な浮遊する感覚を表現している。そもそも、はじめから大変おもしろい内容をもつものであった。第1回目のスーパースペースの意味を手探りしていた時期から3回目の今回のコンペまで実に多彩な「膜」の解釈が提示されてきた。コンセプトに偏ったもの、まるで詩のような作品、真正面から現実的な利用を工夫したもの、スケールも都市的なものから身体感覚のものまで、発想の多様さには驚かされる。今回の1等は、詩情と現実性の二面性をもつ案(MESAROS+VE LIKOV案)が選ばれた。実にフェスティバルのイメージを正しく表現している。2等は、素材と構造の軽快さを利用した移動シェルター(TERUYA+ 他2名案)、3等は、海面に膜を浮かせ一種の島を作るヴィジョンの雄大さと、海面の波がそのまま膜面のうねりとなるおもしろさがわれわれの注目をひいた(MAHMOODI+他2名案)。今年も外国勢が元気がよい。応募数自体が半々(国内109人、海外109人)、入賞はすべてが外国人、佳作を入れても入選10案の内、日本勢は4案にすぎなかった。奮起を期待したい。暗い時代だからこそ、雄大なテーマを、と提示されたスーパースペースのコンペは十分にその役割を果たしたと思う。これからも大きなヴィジョンをもってこのコンペが継続されることを期待したい。
1等 MESAROS+VELIKOV案:ハードな垂直都市の谷間を不定形で軟らかな膜のチューブが通り抜ける。このコントラストな構成の中に硬直した都市に対するユーモアのある風景が浮び上がる。近現代の都市をこのチューブは、一挙に変容させてくれる。垂直なビルから吊上げられるチューブがビルに挟まれた表現も豊かなものだ。2等 TERUYA+他2名案:南北にのびる日本列島。多様な地形と気候の変化の上を移動し浮遊する飛行体の雲が移動する。日本の風土に対する読込と、よく考えられた飛行体シェルターのリズミカルな変化のプロセスが楽しい。桜に浮かれる日本の遊び心とプロジェクトは見事に重なり合っている。3等 MAHMOODI+他2名案:メンブレインは、地球規模の環境に対応して新たな風景をつくっていく。砂丘を歩くように海の上を歩く。膜は更に豊かな水上浮遊の新たな感情を生み出してくれる。スケールをよく表現したプロジェクトだと思う。佳作案の中ではミニマムでコンセプチュアルなBRAUN+TUTSCH案に心がひかれた。1枚の膜が都市と住居の感覚を微妙にそしてラジカルに変えていくかもしれない。感性の死に絶えた近代建築のモノトニーに対するシンプルだが、したたかな抵抗の意図がうかがわれる。その他の案も含めて、昨年、一昨年以上にコンセプトにおいても表現においてもレベルの高いものになっていると思う。
隈 研吾
「棲む」「働く」「遊ぶ」というふうにテーマが変遷してきたので、今回の「遊ぶ」はもっとも自由な発想が数多く寄せられるのではないかと予想したが、結果は全く逆だった。しかし、よくよく考えてみれば、きわめて当たり前のことで、今日、人々は決して自由に遊んだりはしていないのである。今日のもっとも支配的な遊びはコンピュータゲームによる遊びである。この遊びは空間とは無縁である。プログラミングの範囲の中では自由があるかもしれないが、この自由はプログラムをはみ出すことはないし、ましてや空間へとはみ出していったりはしない。それ以外にどんな遊びがあるだろうか。1等 MESAROS+VELIKOV案の「祭」、2等TERUYA+他2名案の「花見」、3等 MAHMOODI+他2名案の「海」(多数の「海」案が今回寄せられた)、それらは日本においては遊びというよりは、共同体的な儀礼と呼ぶ方がふさわしいだろう。春には「花見」という儀礼があり、夏には「海」という儀礼があり、秋には「祭り」という儀礼がある。儀礼とはプログラミングそのものであるし、儀礼と「膜」とのつながりもまた、古い歴史をもっている。その意味で1〜3等案はオーソドックスすぎるという印象であった。プログラミングからの逸脱を指向するような、自由で乱暴な遊びはあり得ないのか。また、その逸脱において、膜の持つ非日常性やフレキシビリティをうまく使えないだろうか。その課題に答える可能性を、「The theater of shadow」、「PLAY ON THE CLOUD」に見た。しかし、残念ながら表現に稚拙な部分があった。
都市生活における環境と地球規模における環境を考えさせられるコンペであり、応募作品であった。
膜は根源的には人間と人間生活に密着している素材であり、柔軟性や透明性がほかの建築素材にはない性質である。この性質を十分に表現した作品が、1等 MESAROS+VELIKOV案であり、鉄とコンクリートの都市環境の中に柔らかで、人を寄せ集める遊びの歩道を構築している。透明性を生かした作品として、膜をスクリーン的に利用した作品も見られたが、完成度からはもう一歩であった。膜で都市を覆うアイディアはバックミンスター・フラーの空気膜が著名であり、この壮大さを目標とする作品は見あたらなかった。しかし、膜の柔軟さを生かし、可動性の性質を上手に利用した作品が目についた。2等 TERUYA+他2名案はその代表例で、膜の制御の面からも興味ある作品となっている。膜のほかの性質として、スーパースペースにふさわしい素材として、張力に対する抵抗能力を上げることができる。張力の作り出す形態を遊びと関連づけた作品として「Water tree」や「海の中で遊ぶ」を上げることができる。膜と海:水の表面は表面張力により、一様張力状態となっており、表面の表情を豊かにしている。海面に膜を浮かべることは、表面張力を強調し、人工的な形態をつくり出すことになる。その成功例として、「skin of space」を上げることができる。膜を構造の視点より捉え、新しい構造システムを創造した作品は見られなかった。
「遊ぶ」というテーマが難しかったのだと思う。過去2回の「棲む」、「働く」というテーマに比べて、特別な空間を考案することができないからである。私たちはどのような空間の中でも「遊ぶ」ことができる。「遊ぶ」ことは空間にかかわるよりも、はるかに私たちの個人的なイマジネーションにかかわっている。だから「遊ぶ」という行為はどんな空間も許容する。何でもありなのである。つまり問題は「遊ぶ」ことと空間を結びつけるということではなく、その個人的なイマジネーションがどう共感されるかというところにあったのだと思う。1等に入賞した「光りのチューブ」の提案者、MESAROS+VELIKOV案はそのあたりのことをよく理解していたように思う。都市の隙間を循るチューブが、隣接する建築群とかかわり合うことでさまざまなアミューズメントが、有効に稼働するように見える。夜は都市を照らす光の帯である。2等 TERUYA+他2名案の「空中浮遊シェルター」のアイディアも、とてもリアリティがあるように見えるし、3等 MAHMOODI+他2名案の「海上浮遊デッキ」もリアリティはともかく、実際につくってみたいと思わせるだけの説得力がある。つまり、その提案が実現することによってまったく新しいアクティビティが想起される。その可能性が評価されたのである。
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