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サッカーの聖地としてよみがえった「J ヴィレッジ」、東日本大震災復興の象徴にかけた一人ひとりの思い。

Jヴィレッジ

2011年に発生した東日本大震災により壊滅的な打撃を受け、
長く閉鎖されていた福島県サッカーナショナルトレーニングセンター「J ヴィレッジ」。

多くのサッカープレイヤーたちの思いを乗せた復興プロジェクトは、
2019年膜屋根付の全天候型練習施設を伴う新生Jヴィレッジとして完成。
東京2020オリンピックの聖火リレーではグランドスタートの地として選ばれるなど、
単なる施設リニューアルにとどまらない復興の証として存在感を示している。

日本初となるサッカーフルコートのインドア化を実現したのは太陽工業の膜屋根技術。
営業、設計、工事監理…、各部門のエキスパートたちは復興への想いを胸に、
仲間を信じ、蓄えた知識と技術を最大限に活かしプロジェクトに取り組んだ。
数々の難局を乗り越えた彼らに、熱い日々と感慨の声を聞く。

左:上村 尚(うえむら たかし)
建設事業統括本部 建築営業本部 東日本営業2部 営業1課 1995年入社
中:阿武 陽介(あんの ようすけ)
建設事業統括本部 工事本部 東日本工事部 東日本工事1課 1993年入社
右:仁井谷 修治(にいたに しゅうじ)
建設事業統括本部 建築営業本部 九州営業部 1995年入社

設計・製造・施工、そして膜だけが持つ力、
太陽工業だからこそ持つ技術力を信じ、邁進していく。

Jヴィレッジのプロジェクトは、長く九州に勤務し、震災復興の命を受け東北支店に来た仁井谷 修治(以下:仁井谷)の粘り強いアプローチから始まった。
何度も施主を訪ね協力会社とスクラムを組み受注に全力を尽くす仁井谷と、彼をフォローする上村 尚(以下:上村)。
二人には膜屋根への自信と自社技術への強い誇りがあった。

仁井谷:
もともとは故郷の大阪で太陽工業に入社し、その後は九州支店で16年過ごしました。2011年の震災後、2013年より復興協力のため東北支店に異動になり、多くの復興案件を担当させていただきました。放射能の影響で外に出て遊べなくなった子どもたちが安心して遊べる「子どもの遊び場」という施設を福島県内に10数カ所作らせていただいた仕事は印象的です。Jヴィレッジは復興のシンボルになる大きな案件ですから、この仕事はとにかくやらなアカンと、仙台にある支店から施主さんがいる福島県へ何回も行きました。

営業としては受注以降の不安はとくにありません、設計も工事もしっかりまとめてくれると信じていますから。その分受注するまでは、膜構造自体が採用されない可能性もあり、また、膜が採用されても他社になる可能性もあるので不安だらけでした。福島県庁へ何度も通った甲斐もあり、県が示したデザインビルドの要求水準書には膜屋根が採用されました。基本設計段階においては上村が懇意にしていた設計事務所さんが受注したので、上村に図面スペックを託し、期待通り上村は基本設計で当社の膜屋根を図面に織り込んでくれました。

多くのゼネコンさんと設計事務所さんが組んで提案を行い、膜屋根は基本設計の段階である程度採用されることになりました。上村とともに設計部、工事部の協力を得ながら、入札にエントリーしたゼネコンさんに対し、当社の実績と技術力をしっかりプレゼンテーションし、その実績と技術力を信頼頂き、他社ではなく当社の膜屋根を採用して頂くことができました。

上村:
私の仕事は仁井谷さんをフォローしながら、太陽工業の製品を折込みまで持っていくことです。折込みというのは設計事務所さんが描く設計図面に、膜構造の屋根と製品名まで書いてもらうことで、営業としては喜びの瞬間です。

今回もっとも施主さんの気持ちを捉えたのは膜が持つメリットだと思います。膜は軽くて柔らかいので地震の揺れに対し強度が高い点、また今回の震災では停電の問題がありましたが、仮に電気が通らず照明がつかなくても昼間は太陽光が入ってくるので内部空間が明るい、そういった点が評価されたのだと思います。それに所在地が福島県の双葉郡なので、双葉、葉っぱのイメージをしたデザインを表現するのにも、膜の持つ自在な形状が適しているんですよ。

笑顔で受注時の喜びを語る仁井谷と上村。
受注以降の不安は「まったくなかった」と声を揃える。
自社の製品力、技術力とともに仲間への信頼が大きいのだと次々にスタッフの名前が挙がった。
そのメンバーである設計担当の山口 英治(以下:山口)、大矢 賢史(以下:大矢)、工事の阿武 陽介(以下:阿武)から受注当時の心境を聞いた。

大矢:
私が担当したのは工事が始まる前段階、基本設計及び実施設計の部分です。設計事務所の方と協力して膜部分の構造計算などを行い詳細な図面を作成します。サッカーのフルコートを覆うほど大きなサイズはなかなかなく、ふだん多く手がけている駅前広場のシェルターなどとは比べ物になりません。いかに要望の形を作り上げるか、、業務を迅速に進められるか、頭の中はそれだけでしたね。

大矢 賢史(おおや けんじ)
建設事業統括本部  設計本部  建築設計部  西日本設計1課 1995年入社

山口:
私は施工図や膜の製作図などをまとめ、設計段階のものを承認してもらうところまでが担当です。最初にパースを見たときは、裾まで膜を張りダイナミックな曲線で外周を構成する部分に目が行き、日本では数少ない曲線重視のデザインにどう対応すべきかが印象的でした。ただ技術的な面から見れば、これまで請け負ってきた案件と同様の部分も多く、抵抗はなかったですね。

現地での打ち合わせに参加した際、復興のシンボルとなる建物に関われることに、一層気が引き締まりました。

山口 英治(やまぐち ひではる)
建設事業統括本部  設計本部  建築設計部  東日本設計2課 1992年入社

阿武:
私は入社以来、施工部門一筋で現場の進行管理を担当しており、東京駅八重洲グランルーフなど数々の大型案件で現場の施工進行管理を行ってきました。

プロジェクトとしては最後の纏めを担うわけですが、営業が必死に受注し、設計が一生懸命作り上げたものを最終的に形にする役割ですから責任は重大です。現場では、技術、設計、製作、生産など当社の全部門に絶対的な自信を持って作業に臨んでいます。そのうえでもっとも頭を悩ませるのは人員の確保で、今回のプロジェクトも社内のネットワークを駆使し、遠くは九州からも手を借り、協力業者さんも日本全国から総動員して完遂できました。

安全、人手、宿泊先、地盤、納期、そして原発・・・。
全員が感じた被災地のハードル。解決への創意工夫とは?

実績と自信に満ちたメンバーだが、
東日本大震災の被災地が現場だけに、独特のハードルも感じた。
営業部門、設計部門も含め、施工中に出逢った苦労譚とその解決方法とは。

仁井谷:
我々の営業支店がある仙台からJヴィレッジまでの道は、国道6号線1本しかないため、皆さん移動は大変だったと思います。原発事故の影響で閉鎖されたエリアの近くを通ることもあるため車には放射線量計を載せ、夏場でも窓を開けてはいけないと言われるなど、やはり不安はありました。

大矢:
工事着手のためには確認申請が必要です。確認申請を通すためには告示に適合する一般ルートと大臣認定を取得する特殊ルートがあるのですが、大臣認定は時間もお金もかかるのでできれば避けたい。今回は規模的に一般ルートで認定を取得できるか微妙でしたが、定着部の増設などの工夫で告示に適合する条件をクリアしました。工期を守るために、何に着目しどう解決するか、といったノウハウがあるのは膜を専門に扱ってきた会社だからこそ。

結果、申請期間は短くなり後工程もスムーズに運べたので、ホッとしています。他の案件も同時に進めながら安全に、かつ成果を出していくために、今回のような創意工夫はつねに重要です。

山口:
Jヴィレッジでは鉄骨製作と膜製作の工程管理に、かなり気を使いました。現場で部分的な形状について打ち合わせをする際、通常は図面で解決できますが、今回のように複雑な形状ですと図面だけでは理解しづらいため、3次元CADを用い立体的な映像表現も用いました。

とくに下地鉄骨と膜受け材の製作を別会社で行うため、膜をしっかり定着するためには我々のディテールをきちんと伝え、膜の留め方や、膜の破損防止のためにエッジの角を取る必要など安全上の基本的な部分から説明し、製作を進めていただきました。

図面は、3次元を組んでもらいお互いに整合性が取れる形で打合わせを進め、元請けさんにも承認をいただきました。施主さんには、図面のみではわかりづらい部分を3次元で表現できたことで、内容をわかりやすく説明できました。今回、3次元による視覚化の重要性をあらためて感じました。

阿武:
現場で作業を行う立場としては、被災地復興の工事だけに当時の現場周辺は決して恵まれた環境ではなかったですね。Jヴィレッジでは日本全国から職員を集めて取り組みましたから、作業員だけでなく宿泊先の手配など、限られた時間と条件下で安全面に絶対的な配慮をしながら工程を組む労務管理は大変でした。

ほかにもクレーンの配置一つとっても片側のみからの施工となるなど、都度異なる条件に対し知恵を出し合い、最適な施工方法を検討する必要がありました。

創意工夫や乗り越えてきたハードルは未来への糧に、
先人に学び後輩に引き継ぐ太陽工業マンとしての気概。

阿武:
膜構造は完成してしまえば丈夫ですが、施工中は不安定な状態となります。着工直後に9月の台風シーズンを迎えたため、耐風対策はしていました。しかし施工中の膜が予想以上の強風に見舞われ一部破損し、部品交換や部分補修を対応したこともありました。長さ約100mの大きな膜パネルを安全な固定状態とするまでには、1週間はかかるので、その間に強風が来るか否か何日も先の天候まで計算し施工の計画を立てるのですが、今回は難しかったですね。

東北の場合は雪も考慮する必要があります。工事全体を見通す中で雪が降り始める前までに屋根を完成し、内部の工事を施工できるように全体の計画を立てます。ところが雪の降り始めは予測できませんから、労務管理も含め元請さんと協議を重ねながら効率よく作業を進めることが施工管理の大きなポイントになります。

太陽工業はこうした大型案件にも過去の事例が豊富にあり、諸先輩の経験を参考に乗り越えて来ました。膜構造建築物の歴史が30年を越えてきた現在、メンテナンスの重要性を感じています。そのような場面で、過去の物件に関するデータが揃わない部分もあり、今後必要な情報をデジタルデータとして、残していくことが重要だと考えております。

それぞれの立場から見た完工の瞬間。
多くの被災地で「膜」を扱う、復興への使命感。

Jヴィレッジはサッカーの聖地として復興を遂げた。
工事に携わった彼らはどのような想いで巨大なフィールドを見上げたのだろう?
家族にはどんな報告を?東日本大震災以降も繰り返される、天災に対しての矜持とともに語られる。

仁井谷:
あれだけの規模の施設がドーンとそびえ立つ姿には、一言で言って圧倒されましたね。最初は元請さんとJヴィレッジさんが見学会を開いてくださったのですが、隣接するホテル棟から眺める夜の景色を見るとやはり膜構造で良かったんだと思い、これだけの仕事に携われた喜びを感じました。いつか家族も連れてきて「お父さんやったよ!でも素晴らしい工事や設計の仲間たちに支えられたからこそできたんだよ」と言いたいですね。

太陽工業はもともとテント製造の会社ですから、地震をはじめとする天変地異の際には被災された方々のお役に立てる会社であることに誇りを持って、私は営業活動に従事しています。

同時に意匠的にユニークで目立つものを作れる会社という点も自信を持っています。天災はあって欲しくないことですが、万が一の際には常に役に立てる会社でありたいと願っています。

上村:
完成したJヴィレッジはやっぱりすごいなと思いましたね。作品としても、建てた技術も人間も企業も。サッカーフルコートに膜を張った日本国内では初の規模感は自分自身にも家族や友人にも誇れる仕事です。多くのサッカー選手、ファンの方の期待に応えられた点も嬉しく思います。

復興の仕事というのは被災された方々のことを考えると心が痛みますが、日本が地震大国である以上避けられないテーマでもあります。東日本大震災では太陽工業とグループ企業が被災直後に仮設テントを現地に届けました。また、原発事故の際には汚染物質の飛散を防ぐカバーリングのお仕事を特命でいただいた経緯もあり、そうした企業で働けていることを私は素直に光栄に思っております。そこには私たちの先輩方の努力と勇気があったからこそで、私も次の世代に伝える使命感を持っています。

大矢:
実は私、完成前に大阪に戻ってしまい完成後のJヴィレッジには行けていないんですよ。雑誌やニュースなどで見た感想ですが、あんな形が本当にできたんだというのが素直な感想です。自分で設計をしているのにビックリというのも変ですが、自分が描いた図面の形が本当に建つんだなという自信になります。いつか見に行ったときはまた違う感動が味わえるかもしれません。

とはいえ設計に携わったものがどなたかのお役に立ち、地域の方々の安心や笑顔に少しでもつながることには嬉しさを感じます。

山口:
完成時には、ほっとしたという気持ちが一番です。遠目から見てとてもシンボリックな建物になり、東京2020オリンピックでは、聖火リレーのスタート地点にもなりました。周辺にある駅舎の屋根も担当でき、地域開発もどんどん進み、少しずつ変化する街の風景の中心に建つ姿に感動を覚えます。私のお客様も興味深いようで度々見学に同行できるのも嬉しいですね。

我々は体育館などの下地に使用する膜天井という製品も扱っていますが、地震で屋根が落下しても被害を抑える機能があり、古い建物の改修などにも導入していただいています。このような施設は、非常時に避難施設として使われることが多いため、建材の採用に災害時の評価が重視されることも大切ではないでしょうか。

阿武:
私は現地に常駐し日々出来上がっていく姿を見られる立場でしたが、やはり完成時にはなんともいえない迫力を感じました。中に入るととても明るく、膜素材を使って良かったなと思いました。メンテナンスの仕事もあり、完成後もたびたび足を運びますが、とくに雨の日に多くの方がサッカーを楽しんでいる姿を見ると、役立っているなと嬉しく思います。

残念ながら東日本大震災以降も日本のあちこちで災害は続いています。私も東日本大震災の数日後には東北に入りましたし、有事の際には少しでも早く対応しなければと思っています。企業としてもすぐに動けるスピード感と、営業、建築、設計、製造、施工、物流分野、国土分野など様々な部署が一つになるネットワーク力は大きな強みです。人と技術と組織が一体となってみなさまのお役に立てるのであれば、それ以上の喜びはありません。

東日本大震災以降も、日本は数々の自然災害に見舞われてきた。いつ、どこで、どれほどの規模で発生するかがわからない自然災害に対し、完璧な防御策は見つからない。それだけに被害を最小限に抑え、より早い復興を支援するための備えが重視される。

太陽工業は長年にわたり培ってきた膜のチカラと、迅速に動けるスピード、全社一丸となる結束力を活かし、これからも人々の暮らしを支える社会貢献に取り組んで行く。

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