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ETFE構造の評定と大規模移設建築、2つのテーマで膜構造の新たな時代を拓く。

Brilliaランニングスタジアム

新豊洲Brilliaランニングスタジアムは、市民ランナー、障がい者、トップアスリートらスポーツを愛する人々が走る喜びをともに分かち合える場として、2016年東京都江東区豊洲にオープンした。
以来7年間、多くの利用者に愛されたスタジアムは現在、有明地区への移転を目指し解体・移設作業が行われている。
スタジアム建築を通じ、日本で初めてETFE構造を大規模に使い、告示化のための評定を受けることと、現場での鉄骨溶接・膜溶着作業などを一切用いない解体移築前提の設計という2つのテーマに挑んだ喜多村 淳(以下:喜多村)に話を聞く。

喜多村 淳(きたむら じゅん)
建設事業統括本部 1996年入社

膜構造との出会いとミュンヘンの衝撃。
喜多村をETFE構造に導いた膜の魅力。

現在、建設事業統括本部のプリンシパルエンジニアとして、
また一般社団法人日本膜構造協会では企画調査部長としての肩書も持つ喜多村は、ETFE構造の旗手ともいえる存在だ。
新豊洲BrilliaランニングスタジアムへのETFE構造導入の経緯、膜構造との出会いはどんなものだったのだろうか。

喜多村:
大学時代から建築学科で膜構造の研究室に所属していました。野球に夢中だった高校のころ、後楽園球場が東京ドームになり、試合を見に行ったときに不思議な屋根の構造に惹かれたことが、膜構造に興味を持ったきっかけです。本格的に勉強を始めてからは、ミュンヘンのオリンピックスタジアムに衝撃を受けました、1972年フライ・オットーさんという有名なエンジニアが設計した作品で、膜ではありませんが透明の材料と太いケーブルを使い有機的な形をして、とにかくすごいスケールなんです。私は2024年4月から日本建築学会のシェル・空間構造運営委員会の構造設計小委員会で主査をしていますが、委員会で2019年に出版した「世界の構造デザインガイドブックⅠ」という本でも、この作品について執筆させていただきました。同様に2023年に出版した「日本の構造デザインガイドブック」にももちろん「新豊洲Brilliaランニングスタジアム」を執筆しています。

1996年に太陽工業に入社し、ETFE構造については2000年代前半には社内の技術研究所で研究を始めていました。初めて見た感想は、透明度が高くてとにかく素材が薄っぺらい。正直こんなので大丈夫かな?というものでしたが、材料特性を知れば知るほど興味深い材料だということがわかってきました。最初に深く関わったのは2010年に中国の上海で開催された国際博覧会「上海万博」の日本館です。この屋根がETFE構造で、その設計を担当しました。当時も今回一緒に仕事をした名波伸二さん、高井研さんと一緒でした。

従来の膜構造は白い膜を使ってきましたがETFE構造は透明にできる点が一番のメリットです。紫外線を通しますから植物を育てる温室や植物園、天然芝の育成が必要なサッカースタジアムにも適しています。逆にデメリットは日光が入り熱がこもると気温が上がりすぎることです。すべてをETFE構造にすれば良いわけではなく、用途や環境を考え、場合によっては白い膜の方が良い。また、ETFEはプリントを施すことで透過率を調整することができます。我々は膜構造の企業ですから、用途に合わせて選べる材料の幅が広がる、大きな可能性を持った材料だと思います。

喜多村が大きな可能性を感じたETFE構造。
新豊洲Brilliaランニングスタジアムをきっかけに、
国内でこの素材を導入できるよう法改正するために。

喜多村:
最初に新豊洲Brilliaランニングスタジアムの話を聞いたのは2015年だったと思います。当初はパラリンピアンの練習場ということで、地域の有識者による豊洲会議という場で東京オリンピックに向け、東京ガスさんが持っている土地を有効活用したいと声が上がったんです。最終的には誰もがスポーツやアートを楽しめるランニング施設を作ろうという趣旨のもと、元陸上選手でオリンピック代表にも3度選ばれた為末大さんが館長を勤める施設計画が決まりました。

当初設計を委託されたのは、E.P.A環境変換装置の武松幸治さんです。武松さんは2005年に太陽工業の名波さんと一緒に小規模ではありますがETFE構造で仮設の建築物を作ったことがあり、今回も最初にETFE構造を使おうと考え、名波さんに相談に来られました。

私はETFE構造部分の主設計者という職務で携わるようになりましたが、先ほどお話ししたようにETFE構造は技術としては20年ほど前から研究を続けており、海外では大きな実績が多数あるものの、日本では法律の関係で導入できない状態がずっと続いていました。法律を変えるためには実績が必要で、そのきっかけとなり得るのが今回の新豊洲Brilliaランニングスタジアムだったわけです。

工期、コスト、デザイン、そして法改正に向けた評定。
ハードルを超えるたび後押ししてくれる力。

いくつもの命題を抱えながらデザインに着手した喜多村。
今回の建築をきっかけに、ETFE構造は法改正につながる評定を受けることができるのか。
おだやかな笑みを浮かべながら、喜多村は正直に気持ちを語る。

喜多村:
上海万博日本館ほかいくつかのETFE物件を経験をしてきたので、技術的には十分対応できると心配はありませんでした。ただ、工期が短かったので、法改正につなげる実績づくりのための評定を受ける時間も考えるとそこは少々苦しいかなという懸念がありました。

もう一つはデザイン面ですね。ちょうどこの時期、新国立競技場にザハ・ハディッド氏の設計が採用され、そこでETFE構造を使う予定があったのですが、ザハ案が白紙撤回された直後で、ETFE構造をこれほど大々的に使う建築は日本で初めてでしたから、注目が高まることは予測できました。そうなるとデザイン的な美しさはより重要になり、倉庫やビニールハウスをつくるようにはいきません。膜構造は構造体がそのまま仕上げになるため、骨も全部見えてくるので、そこも含めて建築家の武松さんのデザインを元に、構造家である株式会社KAPの萩生田秀之さん、それに我々PMの名波さん、現場所長の高井さんと私を含めた太陽工業の三者でETFE構造ならではの美しさについてとことん話し合いました。架構形式から木との接合ディテール、ETFE送風用の配管の見え方まで議論し尽くして、ETFEのわずかなしわを減らすためのモックアップ検証なども行いました。皆さんと工期とコストをにらみながら、日本初のETFE構造建築にふさわしいデザインを求める同じ志を持って進められたことを、本当に感謝しています。

新豊洲Brilliaランニングスタジアムの設計・施工を通じ、
喜多村が担った大きな任務がETFE構造を告示化するために、評定を受けること。
評定を受けるメリットから思わぬ展開へ続く。

喜多村:
ETFE構造が評定を受けるメリットとして、実績が認められれば告示が改正される可能性が上がる点が挙げられます。これまでも評定を受ければ使える状態だったものが、誰も評定を受けないために使われない、法律も変わらない状態が続いており、その意味では、海外に比べかなり遅れをとっていました。今回苦しくても評定を受けて実績として認められ、告示改正できれば、今後は評定を受けなくても導入できるようになり、ETFE構造の可能性は大きく広がるわけですから業界の任務としても意義は大きい。なんとか成し遂げたい事柄でした。

ところが設計中、行政判断で「評定を受けなくても進めて良い」となったんです。つまりETFE構造を膜構造ではなく屋根葺き材として扱うので評定は不要、という判断です。
確かに、評定を受けなければ工期は早まるというメリットがあります。プロジェクト単体でみれば工期のメリットは大きく、私自身その考えに流されかけた時期もありました。

ところが、社内に帰ってこのことを報告したところ、当時の能村卓専務に「易きに流れるな!評定を受けて実績となれば、それが告示改正につながる」と言われ、ETFE構造を法的には屋根葺き材として扱うが、膜構造として扱う場合と同等のものとして、任意で(一財)日本建築センターのBCJ評定 を受けることにしたんです。「BCJ評定」とは建築物の工法や部材などを建築基準法令などに照らして評価してもらうもので、評定結果は技術的根拠資料として行政庁などから高い評価を得られます。

設計工期はそれなりに長くかかりましたが、その後、堂々と実績として扱ってもらい、法改正もできたので、能村専務の言葉はありがたく感じています。この言葉がなかったら、後の各賞の受賞もなかったと思っているので、そうなると今の私の立場も変わっていたと思います。ヨーロッパなどから約15年遅れましたが、ようやく日本でETFEができるようになり、法制度として海外に追いつく環境ができました。

檄を飛ばした能村専務について話を聞くと、喜多村の口からは能村氏への尊敬の念とともにもうひとり社員の名前が飛び出した。
さらに太陽工業のフラットな社風にも話しは広がる。

喜多村:
能村卓さんは膜構造全般の先駆者であり大先輩です。私は3年前から日本膜構造協会という団体職員も兼務しているのですが、その協会の活動をずっと以前から担当されていたのが能村卓さんです。ETFE構造についても20年以上前から法律に載せるべきと言われてきた方なので、私よりはるかに見識とこだわりがあります。

ETFE構造評定の実績づくりについてはもう1人、当時九州の営業課長を務めていた森圭司さんにも後押しをいただきました。佐賀県の「大島病院車寄せ棟」というETFE構造を使った物件を担当されていて、わずか70平米のエントランスキャノピーで、行政からは評定までは受けなくても良いと言われていたのですが、実績を作る必要があるだろうからと私のもとに持ってきてくださり、二人で実績としての評定(性能評価+大臣認定)を受けました。この2件の実績が評価され、その後の告示改正が実現しました。

大先輩の能村さんとはさすがに接点は少ないですが森さんは2歳ほどの先輩で、現在は中国支店長を務め、私が広島に行くたび連絡を取り合い一緒に食事をしています。森さんが、広島に新しくできるサッカースタジアムにおける日本初のETFE屋根の、社内的な責任者であることも、何かの縁でしょうね。全国の営業職員からはETFE構造をはじめ技術的な相談でちょっとこっちに来てよと頻繁に声がかかり、仕事の後も親交を深めています。最近は若い後輩のほうが増えてきて頼もしさを感じていますが、硬軟自在に親睦を深める太陽工業の社風は今後も大切にしてもらいたいですね。

また、営業に限らず技術の人も、若い人にはどんどん積極的に外に出ていろんな人に会い、見識を広めてほしいと思っています。技術的なこと、法的なことのアドバイスはもちろん、新たなチャレンジや新たな人付き合いなど、私で助けられることであれば、若い人と一緒にやっていきたいと思っています。どうやったらできるかなというワクワク感とか、それができた時の達成感とか、ぜひ味わってほしいですね。前例があるものだけを取り扱っているだけで、膜構造の進化がないと、業界は必ず縮小します。膜にはまだまだ可能性があると思っていますから、膜の新なチャレンジを発想してくれる人たちと触れあい、最前線に立って社内に話を持ち帰る人たちを、組織としてバックアップして、発想を現実化する手助けができる社内体制が構築できていることが重要だと思っています。

解体・再組立に特化した工法を採用。
建築部材の耐用年数を活かすサステナブルな移設可能建築の未来。

社内外のスタッフによる後押しを受け、ETFE構造の評定を伴い新豊洲Brilliaランニングスタジアムの工事は進む。
続いてはもう一つの特徴である移設可能建築について、今回の概要とメリット、法規上の問題について話を聞いた。

喜多村:
新豊洲Brilliaランニングスタジアムは一定期間使用した後、解体して移築先へ運び再組立ができることを前提に建設しました。そのため現場での鉄骨溶接や膜の現場溶着作業などは一切なくし、ボルトなどを外せば解体できるように設計しています。移設前提としながらも当初は移設先がなかなか見つからず、グループ会社のTSP太陽が事業者の一員として有明への移設を決定してくださり、とても嬉しく感じています。

移設可能建築が持つ最大のメリットは、部材を新たに製作する必要がなく、工期的にもコスト的にも優れている点です。そもそも建材の寿命は長く、ETFE構造の場合30年以上は耐用可能ですから7年程度で廃棄してしまうのは勿体ないですよね。今回豊洲で7年使用した後、有明に移設して10年は稼働することが決まっており、サステナブルな時代の要請に合っていますよね。

材料を捨てずに活用する考えは仮設建築にも通じるものがあります。私は以前「アーク・ノヴァ」という作品の構造設計を手掛けたことがあります。アーク・ノヴァは2011年に東日本大震災があった後、建築家の磯崎新さんとヨーロッパのアニッシュ・カプーアさんが構想し、イソザキ・アオキアンドアソシエイツの設計のもと、2013年に完成しました。空気でふくらませるキャパシティ600人クラスのコンサートホールで、使用後はギュッとたたんでコンテナに保管できます。2013年以降は4回に渡り別の地域で活用されています。できあがった時に私が一番感動したのはこの作品ですが、実はこれも名波さんと一緒に手掛けたんですよね。

ただ仮設建築物の場合、現在の法律ではイベントなど1年以内の使用に限られており、2年3年継続使用するものですと常設の建築物と同じ法規が求められます。そうなると膜構造の場合はイベント用途には使いづらいのです。もしも将来、短期建築というカテゴリーで法改正ができて、ETFEなどの膜構造がイベント用途に使えるようになれば、更に需要は増えると思っています。

日本構造デザイン賞受賞をはじめ高い評価と注目。
膜構造建築にも大きな進歩をもたらせたETFE構造評定。

日本で初めての大規模なETFE構造。湾曲集成材・鉄骨アーチのハイブリッド構造を導入した移設可能建築が新豊洲Brilliaランニングスタジアムだ。
2017年の日本構造デザイン賞、グッドデザイン賞、2018年のBCS賞、2019年の日本建築学会賞(作品)や海外の賞など国内外から多数の表彰を受ける高い評価を獲得した。

喜多村:
新豊洲Brilliaランニングスタジアムへの注目度は予想以上に高く、私自身竣工式に集まっていただいた約2千名の皆さんをはじめ、7年間で延べ5千名くらいの方にETFEやこの施設の説明をしてきたと思います。説明の対象は、設計事務所、ゼネコン、役人や地方自治体の方から大学の研究室や学会など多岐にわたります。2016年には国際学会IASS(international association for shell and spatial structure)で来日した人達も多数見学に訪れ、説明をしました。

そのかいあってか、ETFE構造についても爆発的にという感じではありませんが、国内の実績は着実に増えてきていますし、計画段階で客先に説明に行く機会はその何倍もあります。サッカースタジアムにも採用いただきました。規制緩和という表現を簡単に用いることは難しいですが、ETFEに限らず、もっといろいろな場所で活用できる法体系と環境を目指す努力は続けていきたいですね。2024年には、私が協会に来てから活動してきた膜構造の告示改正の目途も立っていますので、ますます膜構造の設計自由度が増し、軽快でやわらかく世界をつつみこむ膜構造の魅力も、日本で再燃できると思っています。

競合社もゼロではありませんが、これまでできなかったものができるという点では他社さんにもメリットがあります。膜構造建築における太陽工業のシェアは大きなものをいただいていますし、日本膜構造協会にも所属しているわけですから、今後も膜構造の領域を広げる活動をして、業界全体を盛り上げていければと考えています。

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