社員インタビュー

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2008年 新卒入社

山口 秀人

太陽工業に入社するまで

大学4年生まで、ずっと野球をやっていました。僕が4歳、弟が1歳の時に母親が亡くなっているんですけど、父親と祖母から「お母さん、あんたら兄弟が甲子園に出てんの夢見てたで」って聞かされてたんですね。なんとなくそれが頭に残ってて、小学校3年生の時にはじめました。そしたらのめり込んじゃって。これまでの人生、ほとんど野球。そんで、高校は、一応名門校と呼ばれる学校の野球に入部しました。部員は何百人っていたんですが、運がよかったんでしょうね、レギュラーをやらせてもらってました。

僕らの年は、メンバーがすごくって、春と夏を合わせて3回も甲子園の土を踏ませてもらえました。ある年の決勝で打てたホームランは、今でも感触を覚えています。まぁ、振り抜いたバットに、ボールがたまたまうまいこと当たっただけなんですけどね。で、そのまま優勝までさせてもらいました。あと、弟も野球やってて、彼も一度、甲子園に出てますね。母親の夢を叶えたって言ったら美談になってしまうんですけど、よかったなとは思ってます。でも、そこまで野球をやってたら勉強なんてできないんですよ。だから、大学も野球で入学しました。

でも、野球は大学で引退しようと思っていました。社会人になっても野球っていうのは、ちょっと考えられへんくて。となると、就活です。大学は関東だったんですけど、就職するならやっぱり地元かなってことで。そして、なんか飛び抜けて1位をやっているような会社がいいかなと思って探してた時に、たまたま太陽工業を見つけたんです。父親が大工やったっていうのもあったと思いますが、建築と膜、面白そうやなと。で、筆記の試験を受けにいったんですけど、これがズタボロで(笑)。なんせ、高校も大学も野球推薦で、はじめての受験やったもんで。

ただ、試験を受けるまでに色々と調べて、東京ドームとかもやってるってことを知って、志望度はだいぶ高まってたんですね。だから、ズタボロの試験の後、人事の人を捕まえて、「今日の試験、僕は多分ダメです。でも、やる気だけはありますんで」って、伝えて帰ったんですよ(笑)。そしたら、受かってました。

太陽工業での仕事

入社して1年間は現場を知るという意味で施工管理を経験し、その後、営業として働いています。営業って、むちゃくちゃ深いと思うんですけど、僕は何がええかって言われたら、やっぱり人。人と会話したり、対峙できることですね。駆け引きとかは苦手です。提案する商品も最初にデメリットを正直に言うようにしています。

お客さんのことも知りたいってのはもちろんですが、うちの商品はそんなに安いもんじゃないですから、まずは僕を知ってもらうことを大事にしてます。仕事は後からついてきたらええかなという感じでやってますね。何千万円、何億円って規模の仕事になりますが、商品が高い安いって僕が判断することではないですしね。「この金額でこんなんできるんなら安いわ」と言ってもらえるように頑張るだけです。そうやって誠実な姿勢で信頼関係をつくり、「いい仕事してくれたわ、ありがとう」を積み重ねることで、お客さんとのつながりもずっと続いていくんだと思いますね。

これから挑戦したいこと

自分はエリートではないですけど、コツコツとした努力家だとは思っています。というよりも、何かやってないと不安といった方が正しいかもしれません。野球をやってた時も、毎日素振りをしないと、なんか違和感があったりね。それは、営業でも同じで、ずっと座ったりって、できないんですよ。だから、自分の足を動かして、小さいことでもコツコツとお客さんと顔を合わせることを大切にしています。また、何でもいいから、社内で1位になれることをコツコツ積み重ねることで、極みに届くんちゃうかなとも考えています。朝一番に来るとか、一番机の上が綺麗やとか。そういったことは、「基本」と呼ばれることやと思いますが、野球も営業も同じです。基本をやり続けることが大事やと思います。そういった努力はこれからも続けていきたいですね。