社員インタビュー

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2014年 中途入社

平郡 竜志

太陽工業に入社するまで

学生時代を振り返ってみると、「マイペース」だったかなと思います。長期の休みになれば、自分一人で海外旅行なんかに行ったりしていました。それも誰にも言わずに。だからなのか、「行動力あるよね」と言われたこともありますね。建物が好きだったので、それを海外に観に行くことを目的にアルバイトをしていました。マイペース…。もっと言えば、自分本位で動くということが、もともとの性格なのかもしれません。自分一人だけで海外に行っても、「なんとかなる」という考え方は持っていましたね。

なぜ、建築に興味を持ったのかを辿ってみると、兵庫県出身だということが一番の要因かと思います。7歳の頃に阪神淡路大震災を経験して、周りにも被災した友だちがいたり、学校でも震災に関する授業あったり。そこで、復興していくまでに都市がどう変わったか、建物がどう変わったか、ということを身近に感じられる環境だったので、建築って「人の役に立つんだ」ということを、自然と考えていたのだと思います。そして、高等専門学校に入学し、それ以来、ずっと建築に携わっています。

高専に通っていた頃は、建築というよりは、部活動で「ハンドボール」に明け暮れていました。マイナーなスポーツですが、私の地元では盛んだったので、子どもの頃からやっていました。今でこそ、やる機会は減りましたが、不思議とまったく飽きませんね。そして、高専を卒業した後は大学へ編入し、鉄骨構造の研究を行っていました。その後は、大学院で鉄鋼造の建築を学び、建築事務所へ入社。そこで1年ほど働いて、太陽工業へ入社しています。こう考えると、本当にずっと建築ですね。凝り性なのかもしれません。

太陽工業での仕事

設計として入社後、東京で5年間働き、現在の広島支店に異動になりました。この広島では東京と同じような提案をすることはできません。その土地の歴史や景観、雰囲気、それらをすべて考えなければ、クライアントは首を縦に振ってはくれないのです。ただ、そのように決められた範囲で、自分でやりたいと思ったことを考えることは、この仕事の醍醐味だとも思っています。とは言え、知識や経験がなければできることではありません。自分が積み重ねてきたもので、最適な答えを出す。そこが、面白い部分ですね。

建物に興味を持ってから、これまでずっと建築の道を進んできましたが、やはり飽きることはありません。仕事が趣味の延長になっているのかもしれませんね。でも、それほど楽しいんです。自分の思い通りの建物をつくれるわけではありませんが、クライアントがやりたいと思うことをきちんと汲み取った上で、それを自分のやりたいことに変換することができれば、楽しさは尽きないと思います。そして、新しい案件に出会い、建築をさらに深く知っていくたびに、どんどん楽しくなっていくんですね。分からない部分が多いからこそ面白い。多分、建築のことが全部分かってしまったなら、すぐに辞めてしまうと思います。

これから挑戦したいこと

これからインバウンド需要がますます高まり、日本には色々な人が入ってくるでしょう。海外と同じように、さまざまな価値観の集合体となっていくはずです。建築業界もそれに合わせて変わっていかなければならないと思っています。そうなると、建築を手掛ける会社も、そこで働く人も変わらなければなりません。そこに上手く適合できるような人間になっていきたいですね。そのためには、もっとたくさんの現場を知らなければならないでしょう。論文も書いてみたいですし、海外の現場も手掛けたい。当社には、やりたいことを自由にやることがある程度許されるという文化があります。もちろん、自分できちんと経験や知識を積み上げ、打開策を考えられることが前提です。その社風は、私の元来の気質に合っていると思っています。だからこそ、飽きることはないんでしょうね。